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Field Notes:放射能から日本で一番遠い島

2011年に起きた福島第一原発の事故は、今も周辺住民に影を落としつづけている。原発からほど遠い南の島の保養施設は、束の間の解放感を必要とする人々に何をもたらすのだろうか?

<東日本大震災から8年、復興の現在>

 2011年3月11日に東北地方の太平洋沖で発生した東日本大震災から、今日で8年の時が経った。この時発生した津波は、福島県双葉郡にある福島第一原子力発電所(以下、福島第一原発)の事故を引き起こし、大量の放射性物質が外気に放たれた。当時、事故の様子をテレビ中継で見ていた人は多いのではないだろうか。

 2019年3月11日現在、テレビで「がんばろう日本」や「復興」といった言葉を見る機会は明らかに少なくなった。県内各地で除染の完了が報告され、放射能汚染によって帰宅困難地域に指定されていた場所も徐々に解除されつつある。津波の被害を受けた跡地には、現在、防風林となる木の苗が植えられている。こういった側面から、復興は順調に完了へと向かいつつあるようにみえる。

 しかし、ひとつの疑問が思い浮かんだ。この先、何をもって東日本大震災の被害が「復興した」といわれるようになるのだろうか?この疑問を確かめるために、まず私が向かったのは、東日本大震災や福島第一原発とは無縁な日本の南の島だった。

<美しい久米島で見た景色>

 2018年末、私は沖縄県・久米島を訪れた。久米島は、海や空のあざやかなブルーと赤土が太陽に映える、とても美しいところだ。この島には、福島第一原発事故の影響を受けた親子のための保養施設「認定NPO法人 沖縄・球美の里(以下、球美の里)」がある。

 球美の里では、やってきた福島県の子ども達が久米島の大自然にふれあったり、自由に外遊びをできる約1週間のプログラムが用意されている。震災後の2012年7月からスタートしたこの施設は定期的な保養を継続しており、その実施回数は現在100回を越えている。

 そもそも「保養」とは一体なんなのだろうか?私ははじめ、日常生活であまり聞きなれないこの言葉のイメージがつかめずにいた。だから球美の里には、子どもたちに対してどんな「保養」が行われるのかを確めるつもりで訪れていた。

 ところが球美の里で見たのは、いたって普通の宿泊学習だった。私が小学生の頃に行った林間学校とほとんど同じだ。いくつかの班に分かれた小中学生が、磯の生き物観察や海でのレクリエーションを楽しんでいる。彼らが笑い声をあげながら、球美の里のアスレチック用具で思いっきり遊んでいる様子を眺めながら、私はぼんやりこう思った。

「結局のところ、保養をする意味ってなんだろう?」

 この答えを知るため、次に私は福島県いわき市を訪れた。

<保養とは、普通でいられる安心感だ>

 

Soapbox | 認定NPO法人 いわき放射能市民測定室 たらちね

 

 福島県いわき市には、認定NPO法人いわき放射能測定室たらちね(以下、たらちね)が運営するたらちねクリニックがある。たらちねはクリニックの他にも、放射性物質が人の体内にどれくらい入り込んでいるかを診る「検診」や、農作物や土壌などがどれくらい放射能に汚染しているかを測る「測定」を行なっている。また、保養を希望する福島県内の親子に向けた「球美の里」の説明会や参加募集を担当する団体でもある。

 私は、たらちねが主催する球美の里の説明会に同行した。説明会では、球美の里の案内だけでなく、放射能に関連した専門知識の簡単なレクチャーも行なわれていた。

 ここでは、汚染された土が半減期を繰り返して少しずつ減っていくこと、放射能にはセシウム以外にもストロンチウムやトリチウムといった種類があり、筋肉や骨、遺伝子など影響を与える体の部位がそれぞれ異なること、さらに人体への影響がいまだ未知数であることなどが語られた。大気中の放射能を直に浴びる「外部被ばく」と、放射性物質に汚染された食品を口にすることで体内に蓄積されていく「内部被ばく」の2種類があることも、私は初めて知った。

 さらに驚いたのは、たらちねで毎日行われている放射性物質の測定を、専門家ではなく地元のお母さんたちが手がけていたことだ。「数ミリずれたら部屋ごと爆発しちゃうんです」と言いながら、お母さんたちは繊細な測定器を動かしていく。その様子はまるで料理をするように手馴れており、かつ慎重だった。

 毎日吸い込む空気や口にする食品が、少しずつ子どもたちの被ばく線量を増やしていくことは、日本原子力研究開発機構(以下、JAEA)の研究によって明らかにされている。これから長い人生を送る子ども達の未来を、少しでも普通に、安心できるものにしたい。そんな思いが、たらちねの測定や検診といった活動の背景には隠れていた。沖縄の久米島という遠い南の島へと保養に訪れる理由も、これと同じなのだ。

 現在も、福島県内の一部の地域では、子ども達が外で遊ぶ時間を制限している家庭もある。それは被ばくの影響を懸念してのことだ。放射能汚染から遠く離れた南の島なら、澄んだ空気をいっぱいに吸ったり、外で自由に遊ぶことができる。子ども自身だけでなく、親心としても放射能の心配がない。また、島の食べ物を口にし、体内に溜まった放射性物質を排出することも、保養から期待できる効果のひとつだ。
つまり、球美の里で私が感じた「普通さ」こそ、保養がもたらすもっとも大きな価値だった。

<放射能問題が終わらない限り、保養は必要であり続ける>

 福島県では、現在も帰還困難区域とされている双葉町へも足を運んだ。NPO法人チェルノブイリ救援・中部放射能測定センター・南相馬の方々に案内してもらいながら、初めて手にする放射能測定器を握りしめて車に乗りこんだ。
 道路を進んでいくと、ある一線を境に街並みの雰囲気がガラリと変わった。一軒ずつバリケードを張られた人気のない住宅地や、8年前によく見たCMのデザインそのままの看板が今も残っている。これらを目にした時に感じた苦々しく複雑な気持ちは、どう説明したらよいのか、ぴったりと合う言葉が見つからない。

 車が海沿いに近づいていくと、放射能測定器に表示される数値がわずかに大きくなる。微動する数値以外に、放射能の気配を感じることはない。花粉のように目に見えるわけでも、ガスのように臭いをつけているわけでもないからだ。だからこそ、この測定器が表示させる数字の小さな変化にさえ緊張感があった。
 海岸に到着すると、海辺では大きな堤防が建設途中だった。今後の津波に備えた巨大な白い堤防の中には、汚染土を詰め込んだ黒いビニール袋が土台として大量に埋められている。近くにあった物見やぐらに登ると、遠くの岬に今もそびえたつ福島第一原発が小さく見えた。

 震災から8年、ある一面を切り取ってみると、たしかに復興は少しずつ歩を進めているようにも見える。だがその背景に、8年間ずっと復興に取り組み続けてきた人々がいることを忘れてはいけない。また、目には見えない放射能汚染の不安感と向き合い続ける住民が、心の底から安心して暮らせる日が来るまで、保養は必要であり続けるのだ。

 最後に、はじめの問いに立ち戻って考えてみる。何をもって、東日本大震災は「復興した」といえるのだろうか?

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