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南三陸にイヌワシが帰ってくるために - 山の価値を再定義する

持続可能な木材の国際基準であるFSC認証を取得した宮城県南三陸町のスギを使ったディスプレイ什器がラッシュのショップに登場します。「この木材を使うことで町のシンボルバード、イヌワシが町に戻ってきてほしい」。そんなストーリーを聞いたLush Times 日本版のエディターが豊かな自然の象徴であるイヌワシに何があったのかを知るために南三陸へ向かいました。

【イヌワシを追ってたどり着いた2つの場所】

 持続可能な原材料を調達するサステナブルバイイングという考えから、再生可能な購買活動を意味するリジェネレイティブバイイングへと軸をシフトしたラッシュのバイヤーは、日本で最初の「生物多様性再生プロジェクト」として、群馬県みなかみ町に生息するイヌワシの狩り場を守り、イヌワシが暮らす森とみなかみ町を豊かな自然環境と経済の循環が行えるリジェネレティブ(再生可能)な形にしていく「イヌワシプロジェクト」をスタートさせました。日本での生息個体数が500羽ほどと言われている絶滅危惧種のイヌワシが狩りや子育てをしやすい環境をつくるため、みなかみの森から切り出した自然の恵みを使って2018年の冬には現在ラッシュのギフト商品のラッピングペーパーに使われているイヌワシペーパーを開発しました。

 「イヌワシは一つがいが1万ヘクタールほどの場所を縄張りとして、生息・繁殖するのですが、子が親元を離れると新たな生息地を探す旅に出ます。そのためイヌワシプロジェクトを始めてから、みなかみだけの森林環境を整えることが僕たちのゴールではないということを一緒にプロジェクトを始めた公益財団法人日本自然保護協会(以下、日本自然保護協会)の方と話していました」とラッシュのバイヤー、Takashiは話します。

 その後、日本自然保護協会から「イヌワシといえば」と紹介されたのが宮城県南三陸町のとある私有林でした。「ゴールデンイーグルス」という野球チームから連想できるかもしれませんが、国の天然記念物であるイヌワシは宮城県内に国指定の繁殖地があり、南三陸にとっても町のシンボルバード。しかし、この町のシンボルであるイヌワシが、10年前頃から姿を消してしまったと言います。それを聞いたTakashiは南三陸の私有林に豊かな森の象徴であるイヌワシが戻れるよう生物多様性のある環境づくりができたら、全国の森林管理に水平展開できるモデルケースになる可能性があると思いました。

 こうして2018年夏、私はTakashiと一緒に久しぶりに南三陸を訪れました。

 

【シンボルバードが姿を消した南三陸の山】

 「当たり前にこういう環境で暮らしていると自然の恵みのありがたみを実感することって、そんなにないんです」と話すのは地元南三陸出身で南三陸ネイチャーセンター友の会の会長を務める鈴木卓也さん。

 「でも、2011年の東日本大震災でインフラが全部ストップしても沢で水をくめた。燃料として山に木を切りに行くこともできた。塩に浸かっちゃったけど畑に残っていた野菜を食べた。震災という経験がこの地域の自然の恵みの豊かさ、ありがたさを他の誰でもない私たち自身が改めて実感するきっかけになったと思います」。

 もともと鳥好きで、今ではフリーで環境調査、特にイヌワシやクマタカなどの猛禽類の調査の仕事する鈴木さん。南三陸地域では、日本で3番目、戦後日本では初めてイヌワシの繁殖が見つかった翁倉山(おきなぐらやま)をはじめ、最大4つがいものイヌワシが暮らしていました。2005年に志津川町と歌津町が合併して南三陸町が誕生したときに、イヌワシの町をシンボルバードにしたのもこうした経緯からでしたが、現在では南三陸地域にはつがいで生息するイヌワシはいなくなってしまいました。

 「昔は自分たちの集落を山の上から見渡せる場所や景色がありましたが、今は山に人の手が入らなくて木がぼうぼう」。

 戦後に木材生産を目的に木が植えられた山は南三陸をはじめ日本全国に多くありますが、当時植林された山は、現在その存在を忘れられてしまっています。人の手が入らず手入れがされなくなった山や森は、翼を広げると2メートルにもなるイヌワシにとって、狩りや子育てがしにくい場所。上空から急降下し餌である野ウサギやヤマドリを捕まえるには開けた空間が必要なのです。

 

【植えっぱなしで元気がなくなる日本の山】

 「イヌワシが南三陸からいなくなった要因の1つには、自分たちの山もその原因なんだろうと思うと、それはいかん、と思った」と話すのは、南三陸で270ヘクタールの山林を所有し、11代に渡って林業経営をする株式会社佐久の12代目、専務の佐藤太一さん。

 「山には4つの働きがあります。1つ目は光合成によって二酸化炭素を酸素に変えて、酸素を供給すること。2つ目は土に浸み込んだ雨水から適切な量の水を流すこと。3つ目は木の根で土を抱え込むことで土を守り土砂崩れを防ぐこと。最後は人間以外の動物や植物など生き物の住む場所を提供することです」。

「でも今、木を植えっぱなしで、手入れがされていない山が増え、本来の山の働きが発揮されない状況が増えています。日本の山が元気がなくなってしまったと言っても過言ではありません。これは日本全国の林業の課題です」と佐藤さんは言います。

 こうして南三陸周辺でも山の手入れがされなくなったことで、狩り場を失ったイヌワシは姿を消してしまいました。日本の林業の衰退、そして山の元気がなくなってきた背景には、現代の生活の中で木との関わり方の変わってしまったこと、そして木材価格の変化があります。

 「昔は、木材や山の資源を活用して生活をしていましたよね。燃料には薪が使われていました。戦中から戦後は国内にハゲ山も多くあり、山の働きが弱くなったことで土砂災害が毎年のようにあったと聞いています。また人口に対して木材の資源量が少なすぎるということも懸念されて、国の政策として早く育つから使いやすいという理由でスギやヒノキ、アカマツの植林が行われましたが、木が育つまでの間、国内での木材調達が難しかったため、輸入を始めました。そして植林をしてから50年、60年が経ちますが、その間に木材利用の需要そのものが減ってしまいました。木に変わる石油やプラスチックや鉄などの代替品が増えてしまい、木を使う量は減り、価格競争も増えた。木のライバルが増えてしまったんです」。

 こうして、佐藤さんの会社のように何十年もの歳月をかけて木を育て、木材を販売しようとすると、その価格は4メートルの丸太で1本わずか1000円、15メートル以上に育った木から4本丸太が取れたとしても4,000円ほどにしかならない場合もあると言います。木を育てるには枝打ちや刈り払いなどの手入れにコストがかかりますが、それを回収するだけの価値はもはやないのが現実です。また、日本の国土の7割が森林であるにも関わらず、林野庁の発表によると、2016年の日本の木材自給率はわずか34.8%。つまり日本で使われている木材の多くはさらに価格が安い海外からの輸入が大半を占めているということです。環境的かつ経済的に元気のある林業を経営することには想像以上の労力がかかるのです。

 「僕たちのおじいちゃん世代は、これでお金が儲かる、財産になると思って木を植えたと思いますが、それが今、厄介物扱いされています。コストばかりかかるような土地になってしまうので、持っている山を手放そうと思う人も増えてしまいました」。

 

【山をデザインし、価値を再定義する】

 震災が起きた時は山形で宇宙空間の放射能について研究していましたが、震災後家業を継ぐため地元南三陸に戻ってきました。家業を継ぐ前は山形の大学で林業とは必ずしも関係のない宇宙空間の研究をしていた佐藤さんが山を歩きながら、木の魅力を語り始めました。

 「木は自然素材だから、有機物です。だから人間が触れてもストレスがないんです。特にスギは密度が低いので空気の穴がいっぱいあって、木に熱が伝わると保温されるので暖かく感じる素材なんです。鉄やプラスチックという素材は無機物で、ひんやり感じるので心理的にもストレスに感じると言われますが、木は人間が触ると温もりを感じる仕組みになっています。人間は木に触れていた方がストレスを感じないというテストの結果も出てるんですよね」。

 手入れがされた佐藤さんの山には木々の間から日が差し込み、イヌワシではないものの鳥も飛び交い、多くの野花や植物も目にしましたが、佐藤さんは「木材生産でしか価値を生んでいないの今の日本の林業はもっと価値の多様化をしないといけない」と話します。元気がなくなっている日本の山の7割は未だ個人や企業が所有する私有林。佐藤さんの会社は、日本の林業界では珍しく、私有林を所有しながら、育った木を伐採をする作業班も自社で所有しているため、木を植えてから丸太にする林業の最初から最後までの工程を全て自分たちでコントロールできるからこそ、本来山が持っている価値をもっと活用できないか模索してきました。

 その一つがFSC認証の取得です。2015年10月、株式会社佐久は地元の森林管理協議会と一緒に森林環境に配慮しながら、地域の社会的利益をもたらし、経済的に持続可能である森林を認証する国際基準のFSC認証を取得しました。

 「震災前から正しい林業をしていた自負はありましたが、本当に正しいことをやっているということを証明するためにFSC認証の基準を使い、この認証を取得することで客観的にも正しい林業をしているという胸を張れる状況を作りたかった。最初は乗り気じゃなかった周囲の人たちも今はFSCの認証基準に向き合いながら、自分たちの質を高める議論ができています」と佐藤さんは話します。

 Takashiが佐藤さんの山を訪れた時、これはFSC認証以上の価値として、生態系復元のモデルケースになる場所だと感じました。

 「それは、かつてイヌワシが暮らしていたこの場所にイヌワシが帰ってくることを願い、活動している地元の人たちに出逢えたからです」。

 震災後、地元の資源を有効活用し、自律分散型の町づくりをしていこうと話をしていた地域の集まりの中で出逢った鈴木さんと佐藤さんは、南三陸という町がイヌワシなどの鳥や動物と共生できる林業で町づくりをやっていきたいということで意気投合し、日本自然保護協会と一緒にイヌワシが戻ってこれる環境をつくるため「南三陸地域イヌワシ生息環境再生プロジェクト」に取り組み始めました。

 「豊かな山の指標であるイヌワシがこの国から絶滅してしまうとすれば、それはつまり日本に暮らす私たちが山との上手な関わりを持たなくなってしまったということ」だと鈴木さんは言います。

 「山に関心を持たなくなってしまった。山の資源を利用しなくなってしまったということのあらわれかなと思ってるんですね。賢く山を利用することで、イヌワシもまた南三陸の空を飛べるようになる、というのが理想です。賢く自然の資源を使いながら上手に暮らしていくことと、イヌワシがそこにいることがセットだと思います。だからこの場所がイヌワシが暮らせる山であって欲しいと思うんです」。

 これまで、林業と環境保護活動のコミュニティが交わることは多くなかったと佐藤さんは言います。

「今までって環境保護活動をする人たちの声を聞かなかったのが林業でした。どちらかというと対立する関係でした。でも本当にいい山づくり、いい木材をつくるためにはそういう人たちの声を聞きながら、その場所にあった山づくりをしないと、本来あるべき林業は作れないと気付きました。FSCの認証にも『専門家の声を聞く』という項目があるくらいなので、これからそういう体制を作っていくために、この場所で人工林で木材生産しながら、イヌワシが戻ってくる環境、山のデザインをしていきたいんです。それがこの山の正しい在り方だと思います」。

 人間にとって山の価値自体は、昔から本質的には変わっていないのかもしれません。しかし、人間が山を見る目、山を評価する指標が変わってきている今、その活用方法や関わり方は変えないといけないのかもしれません。インタビューの最後に佐藤さんは少し目頭を熱くしながら、こんなことを話してくれました。

 「僕がここまでやっているのは、家業の代をつなげたいからです。4歳になった子どもが見て、かっこいい林業をしたいし、山づくりって楽しいって思ってもらいたい。林業って古い産業と思われがちですが、正直まだまだ手付かずの産業なんです。だから子どものためにもっと価値ややりがいのある産業にしたいと思っています」。

 「そういう意味で、山の価値を再定義して次につなげていくということを今、いろんな人を巻き込みながら一緒にやっていっているのだと思います」。

 まだ日本に残っているイヌワシの子たちが親元を離れた時、南三陸という山を見つけてくれるには時間がかかるかもしれませんが、元気な山、多様な価値を創出する山をデザインする人がこの場所にいれば、イヌワシは居心地が良いと思える新しいホームを南三陸に見つけてくれるかもしれません。

 

2018/10/5

持続可能な木材の国際基準であるFSC認証を取得した宮城県の南三陸杉を使ったディスプレイ什器がラッシュのショップに登場
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