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世界難民の日:難民について考える

紛争や人権侵害により、安全な環境で、安心して生活を送るという当たり前の毎日を失い故郷を追われてしまう人がいます。自分の故郷が、命を脅かされる場所へと変わってしまった時、安心して暮らせる場所を求めることは、きっと当然の行動でしょう。その行動を起こした人のことを「難民」と呼びます。

6月20日の世界難民の日を前に、東京都内にあるLush Studio Tokyoでは、日本に逃れてきた難民への支援を行っている認定NPO法人 難民支援協会(Japan Association for Refugees 以下、JAR)広報部の野津美由紀さんをゲストに迎え、トークセッションが開催されました。

 

2秒に1人、難民が生まれる世界

今年の世界難民の日に合わせて国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が発表したグローバル・トレンズ・レポートによると、母国を追われ国外に逃れた難民や難民申請者、自国内で住む場所を失った国内避難民を含む強制移動を強いられた人の数が昨年を上回る過去最高の6,850万人に上りました。これは、1日に44,500人、つまり2秒に1人が移動を強いられていることになります。このレポートによると、コンゴ民主共和国の危機や南スーダンの紛争、ミャンマーからバングラデシュへ避難するロヒンギャ難民が大きく影響し、世界における難民の数は増え続けており、そのほとんどが発展途上国で起こっています。ライフラインが途絶えた場所や自分の命が狙われる状況から逃げようと思うことは「人間の本能として当たり前だと思う」と言う野津さんは、家や母国を追われる人と終われなくてすむ私たちはの違いは特にないと言います。

「6,000万人と聞く急に大きな集団になって、一人ひとりの顔が見えなくなってしまいますが、難民の人たちも私たちと同じように家族がいて、友達がいて、仕事があって、好きなことがあれば苦手なこともある普通の1人の人です。1人の人生がかかっている話が、何千万人にも膨れ上がっているのが今の世界の状況なんです」。

数字にすると顔が見えなくなってしまう。これが今日の難民問題の一つの課題だと言います。

 

難民受け入れの責任を分担する先進国と難民認定に消極的な日本

先進国の難民受け入れ状況を比較してみると2016年にドイツでは26万人以上、フランスでは24,000人、イギリスでは13,500人以上の難民を受けています。トランプ政権になり移民・難民の入国が厳しくなっているアメリカでも、年間2万人の難民認定に加えて、第三者定住という仕組みでも1年間で4万人(オバマ政権時代は11万人)を受け入れました。これに対して日本の難民受け入れ状況は、2017年の難民申請者数19,628人に対して、認定を受けたのはわずか20名。様々な偶然が重なって日本にたどり着く難民がいる中で、日本には政治的な意思がなく、社会の関心も薄いと言います。

「例えばカナダのトルドー首相は、選挙のマニフェストで25,000人のシリア難民を受け入れることを掲げ、当選しました。日本では難民は選挙の議題にもなりません。これだけ難民受け入れに消極的だということが、日本社会で知られていません。」

「JARに相談に来る年間700人以上の難民の人たち話を聞いても、20人という数字から保護されるべき人が保護されていないということは確実に言えます。今、母国に帰ったら処刑を受けるであろう人でも認定が下りません。いつ母国へ強制送還されるか分からない恐怖、不認定という審査結果により失うかもしれない就労資格や追い詰められる生活、家族と何年も再会できない不安など、日本にたどり着いた難民は多くの困難に直面しています」。

日本で難民認定の審査をしているのは、法務省の入国管理局ですが、この機関が難民審査を担当していることも日本ならではの難しさです。

「入局管理局の仕事は『我が国にとって好ましくない外国人を退去させることにより、健全な日本社会の発展に寄与』することとウェブサイトに書かれているように、麻薬の密売など犯罪者が日本に入ってこないよう国境を守ることです。これは重要な仕事ですが、難民申請者が今、国に帰ったらどのくらい危ないのかを審査するためには、それとは異なる知識・経験が求められます」。

しかし、入国管理局の厳しい審査を批判するだけでは日本の難民問題は解決の糸口を見いだせません。適任とはいえない機関が10年以上も審査を続けてしまっている今の体制を放置している社会、つまり私たち一人の関心が薄いこともこの問題に寄与していると野津さんは考えます。

「難民の人たちはどうしようもない状況から逃げざるを得なくなった何も悪くない人たちです。難民問題は、難民自身の問題ではなく、難民を受け入れることができない社会側の問題でもあるのです」。

 

難民になることを想像してみる

「あなたはエチオピア出身のジャーナリストです。あまり知られていないかもしれませんが、エチオピアは言論統制が厳しく、ジャーナリストを統制している国の一つ。政権批判をするような記事を書いたものなら裁判もなく逮捕されます。あなたはこの圧政をなんとか覆したいとペンネームで活動しているジャーナリストです。先週、ジャーナリストの友人が突然逮捕され、別の友人からの伝言であなたも政府に狙われているということが分かり、国外に逃げた方が良いと勧められます。あなたには妻、または夫がいて、子どもも1人います。でも、一番身の危険がある自分が先に国を逃れなければいけません。表立って国を出る手配をすると政府に狙われて危ないので、ブローカーに行き先を手配してもらうことになり、急いで荷物をまとめなければいけません。こんな時、皆さんは何をパッキングしますか?」

 

参加者からでたパッキングするものは、お金、お金に変わる貴金属、コンタクトレンズ、クレジットカード、服、パスポート、食べるもの、歯ブラシ、タオル、携帯とパソコン。

次にいつ国に帰ってこれるか分からないあなたは荷物をたくさん詰めてしまうかもしれませんが、政府から狙われているあなたは、空港を突破することが最初の難関。長期間国に帰ってこないことを出国時に勘付かれないためにリュックとボストンバッグ一つで母国を離れ日本にたどり着く難民もいると言います。

こうしてブローカーから渡されたのは、言葉も分からず、知り合いもいない日本という国へのチケット。「日本は安全だから何とかなる」という言葉を頼りに、飛行機でエチオピアを離れます。日本に着いた途端、成田空港で見慣れない言葉に囲まれたあなたは情報弱者になったような錯覚に陥ります。運よく空港のインターネットでJARなどの支援団体の情報を入手できれば、数万円の所持金を持って事務所までたどり着くことできるかもしれませんが、実際にこんな人がいたと言います。

「その人はコンゴ民主共和国から来た人でした。成田空港から都内の私たちの事務所まで移動するのに、皆さんだったら電車に乗りますよね。でもその人にはそういった日本の常識がありませんでした。コンゴに電車がないんです。電車が安い交通手段か分からなかったその人は、コンゴにもあって日本にもあるタクシーに乗ってしまいました。こうしてタクシーに乗って私たちの事務所に来たその人は、涙目で『持っていた所持金をほとんど使ってしまった』と軽いパニックを起こしてしまいました。何も分からない国でサバイバルすることって、本当に大変なことです」。

日本にたどり着いたら、日本で難民申請をします。申請の手続きでは、自分が国に帰ったらどれだけ危険なのかを証明するために言語の壁を突破しなければいけません。

この写真は、バングラデシュ出身のジャーナリストが難民認定を受けるまでに法務省に提出した書類一式です。自分の身の危険を証明することは決して簡単なことではなく、その人の場合は自身が書いた記事や母国でジャーナリストがどれだけ危険な状況に置かれているかが書かれた記事を集め、その他の証拠となる情報と一緒に日本語に翻訳して提出しました。右も左も分からない国の言葉で、このような書類を自分だけで用意するのは、ほぼ不可能でしょう。母国で政治活動をしていた人が、警察が自分を探しに家に来たこと、拷問を受けたことなどを証明することは非常に難しく、出国時に逮捕状を持って国を出ようと思う人も多くはないかもしれません。出国時に逮捕状を持っていることが知られてしまえば、空港で捕まってしまう可能性もあります。

難民認定の申請に必要な書類を準備できても、申請後6ヶ月間は就労が認められていないため、この間は所持金に頼る生活になります。外務省が支給する保護費の申請が通れば月4万円の住宅費と1,500円の日当を受け取ることができますが、この保護費の受給者は年間300人ほどしかいません。JARのような支援団体を知るまでに時間がかかり、所持金が数十円になってしまった人は、電車にも乗れず、パンひとつ買えない。そのような人たちのためにJARでは食事やシェルターを提供しています。しかし、最近はシェルターは常に満室状態で、ホームレスになる難民も多くいるのが現実です。健康な成人男性であれば、2-3週間はホームレスになることは覚悟してもらうと野津さんは言います。また、日本に四季があることを知らず、持って来た服は夏服のみ、でも到着してみたら日本が冬だというケースもあるため、JARでは医療を含む衣医食住の支援も行なっています。

最後に、野津さんは日本で難民認定を受けた一人のエチオピア出身の女性の話をしてくれました。来日当初彼女を支援していた野津さんの同僚は、この写真を見て同一人物だとわからなかったと言います。それは彼女はそれまで笑顔を全く見せず、ずっと泣いていたからでした。

野党の政治活動に携わり、印刷会社に勤めながら政党批判の印刷物も請け負い、メンバーのリクルート活動にも奮闘していた若い活動家。ショルダーバッグの裏地を切って自身の逮捕状を忍ばせて、縫い直して隠して持ち出した。

「エチオピアで2回逮捕歴があり、これ以上国にいることは危険だから逃げた方が良いと家族がまとまったお金を用意し、観光ビザをとって日本にたどり着いた彼女はは、入国審査で観光客なのにホテルを取っていなく、日本に誰も知り合いがいないことを疑われ、日本に入国が叶わず、空港近くの施設に収容されました。そこで強制送還されそうになり、わずかな英語の単語でなんとか自分が難民であることを伝え、難民申請を許可されましたが、収容施設を出るためには、保釈金と保証人の住所です。日本についてすぐ収容所に入った彼女には誰も知り合いがいなく、それから1年以上日本の地を踏まないまま収容されていました。収容施設からJARに電話があり、弁護士とともに支援をし、収容施設からは出ることができたものの、それから1年以上が経って出された難民認定の審査結果はまさかの不認定。収容所には戻ればいつ飛行機に乗せられ、強制送還されるか分からない。これは本当にストレスだった。そのストレスから彼女は一時的に耳が聞こえなくなり、ずっと泣いていたそうです。その後、なんとか裁判に勝ち、認定が下りた彼女は今、日本で仕事をしています。何も心配なく生活できることが本当に幸せだと言います」。

このストーリーを通じて野津さんが伝えたかったことは、日本に逃げてきた難民の人たちをサポートできるは、日本社会にいる人たちだけだということです。難民認定が20人しか下りない裏には不認定になっている人が大勢います。不認定になった時、「では、国に帰ります」と言えない状況にいるのが難民です。

「こういう人を日本に受け入れる決断をすることも、国に送り返す決断もできるのは私たちなんです」。

2018年5月、JARは事務所を移転しました。この移転に必要な資金を昨年の世界難民の日からクラウドファンディングで集めてみたところ、必要な資金を全て個人の寄付により集めることができました。

「難民受け入れに対する政府の消極的な姿勢をすぐに変えることは難しいかもしれませんが、シリアの難民問題が多く報道されるようになってから、自分に何かできることはないかという問い合わせが増えました。政策が変わることを待つだけなく、市民や民間の知恵を持ち寄って何かできることはないかと考え始めました。政府はなかなか前進しませんが、民間でできることはいっぱいあるんだな、と希望を持っています」。

難民問題は難民の人たち自身の問題ではなく、難民の人たちがたどり着く国や社会がどのような受け入れ体制や姿勢、アクションを起こすことができるかという問題です。日本にたどり着いた難民の人たちが未来に希望を持って日本社会で生活できるようになるためには、日本で暮らす私たちが難民について考えることが大切な最初の一歩になるでしょう。

 

「#RefugeesWelcome 難民を受け入れられる社会へ」特設ページはこちら

写真提供:認定NPO法人 難民支援協会

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