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著者Chika Maruta
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2018年に日本初のThe Lush Film Fund受賞作品となった『ふたつの故郷を生きる』は、福島第一原発事故から8年目を迎え、補償を打ち切られ新たな困難に直面している自主避難者を追ったドキュメンタリー作品です。
この作品で追った人たちとは、原発事故後、わが子の健康を守りたい一心で故郷・福島から自主避難をした子育て世代の母親たち。夫は福島に残って働きながら家族の生活を支え、母親たちの多くは避難先で不安定な雇用条件で働きながら、必死で暮らしてきました。2017年3月、避難指示区域外から福島県内外に避難する自主避難者と呼ばれる人たちにとってほぼ唯一の補償であった福島県からの住宅無償提供が打ち切られました。非正規雇用の母子世帯の平均収入は125万円と言われており、これは避難問題でありながら、貧困問題化してきている現状もあります。避難者である多くの母親たちは経済的、精神的に困窮し、中には自死する女性までが現れました。この作品は、東京都内に母娘で生活する一家と、避難者一人ひとりに親身に向き合う支援者たち、そして政府に政策改善を迫り、粘り強く行動する女性たちの姿を描くことで、復興のあるべき姿を問いかける作品です。
もともと映画が好きで、20年以上ドキュメンタリーの映像作品を作ってきたこの作品の監督である中川あゆみ氏がこの作品を作ろうと思ったのは、罪悪感からだったと言います。
「福島で作られた電気を使って東京で生活していたのに、原発事故後も変わらずにテレビのドキュメンタリーを作る仕事を続け、平穏に暮らしていました。被災地の取材もあり、そこに生きる人の姿に大きく心を動かされたこともありましたが、テレビが流すのは『復興に向けて頑張る人』に偏りすぎているように感じていました。被害者たちが、どんな苦しみや理不尽な状況を抱えているかを伝え、原因を探る報道が少ないことがずっと気になっていました」。
そんな中で中川氏は、子連れで東京に避難し、殆ど補償もない中、必死に生きる母親たちと出会います。
「彼女たちとは、東京の避難者向けのヨガ教室で知り合いました。子どもを守りたいという当然の想いで避難してきたのに、それを責められる。“歩く風評被害”と揶揄され、毎月補償金をもらっていると誤解される。彼女たちは避難者であること自体を話せずにいることが殆どでした。被害者なのに権利も保障されず、補償もない。どこにも頼るところがない。“勝手に避難したんだから、すべて自己責任だ”と復興大臣が言いのける程でした。そんな中で必死に生きている姿を見て、この理不尽な実情を知らせたいと思い、企画書を何度もテレビ局に持ち込みながら、自分でカメラを回し始めました。事態が悪化する中で、企画が通るのを待てなかったからです」。
撮影をしながら、発表の場と制作費を確保するため企画書を書き直し、テレビ局の様々な部署に持っていきましたが、企画はなかなか通りません。
「いろんな方向から矢が飛んでくるのが怖い、あらゆるデータを集めて理論武装しないと無理だ、と言われました。スポンサーや政府の意向に左右されるテレビでは、自分の思うような形で作品を放送するのは難しい気がしてきました」。
事態が動いていく中、撮影素材は溜まっていき、撮影を始めて1年以上経ったころ、The Lush Film Fundの助成が決まり、完成の目途が立ったとき、タイトルを考え始めた中川氏は、『ふたつの故郷を生きる』というタイトルを選びました。
「避難者の人たちにとって、戻る・戻らないに関わらず、生まれ育った福島は変わらぬ大事な故郷。望んで故郷を離れたわけではない中で、いつか福島に帰りたいと思いながらも、7年も経つと避難先での新たな暮らしがあります。避難先で、ここに根を下ろしてやって行くぞ、と思える人にとってはその場所を『ふたつ目の故郷』と呼べるけど、そういう気持ちになれていない人がいるのも現実です。一人ひとり状況が違い、温度差があります。そのような状況すべてを含む「ふたつの故郷」がテーマと考えました」。
「『生きる』という言葉は、苦しい状況にいる母親たちにとっては『生き延びる』『生き残る』とうよりシビアな意味合いを含むでしょうし、『前向きに生きていこう』と思っている人たちもいます。主人公の女性は今は後者ですが、私と会う前はなんとか『生き延びる』というステージにいたこともあったそうです。『生きる』という言葉もまた、避難者一人ひとり微妙に異なる意味を含んでいると思います」。
その場の空気感や表情、声のトーンを切り取り、編集で組み立て直しながら、自分が知りたいことに対峙し、掘り下げていけるのがドキュメンタリーの魅力だと話す中川氏は、この作品の撮影を終えて、「今回は真逆なことを感じている」と言います。それは、撮影を始めた中川氏が直面した被写体になってくれる避難者を探す難しさでした。現状を伝えたいと、被写体になってくれる人を探していた中川氏は、顔出しでの取材を断られ続けました。
「こういうテーマは、映像だからこその制約がとても多かったです。顔出しでの取材は何度も断られ続け、カメラを回して撮れないものが多すぎました。被害者であるのに、避難したことをバッシングされたり、子どもがいじめにあっている親の話など、本当にひどい部分にはカメラが入れられませんでした。顔を出して取材を受けられない人がたくさんいるということが、8年目を迎える原発事故後の避難者たちの現実です。だからこそ、この問題の本質が伝えられるのか、編集作業中にもずっと考えてしまいました」。
彼女たちが社会から受ける、目に見えぬプレッシャーや同調圧力が当事者の声の可視化を難しくさせているのかもしれません。また、中川氏がカメラに収められなかったのは、原発事故から7年半が経ち、変わりゆく世間の危機感や無関心、福島という場所や避難者に対する社会からの目、そして風化という目に見えないものです。
そんな中、ようやく「家族の現実を撮ってほしい」という女性が現れました。その女性は、当事者が声をあげれば何か状況が変わるかもしれないという想いで、人前で顔を出して発言をしていた人でした。それでも周りから厳しい言葉を浴びせられ、疲弊してしまっていたところ、それでも中川氏が取材をしたいと話すと、「やはり何かしたい。取材を受けることで何か変えることにつながるかもしれないから」という想いで、取材を受けてくれたと言います。
『ふたつの故郷を生きる』の公開が間近に迫った2018年9月上旬、改めていま中川氏に復興のあるべき姿とはどういうものなのか、聞いてみました。
「それは、一番弱い人たちの権利が保障されることだと思います。避難を選んでも、選ばなくてもその場所で安心して暮らす権利。避難した人たちについて言えば、新しく生活を立て直す権利。間違っても福島への帰還に追い込んで避難者数をゼロにすることが目指す先ではないはずです。それでは、根本的な問題の解決にはならないから。今後は上映を広げ、避難者の人権がないがしろにされている現状を、できるだけ多くの人に伝えていきたいと思います。それは決して避難者だけの問題ではなく、この国に生きる誰にとっても『明日は我が身』だからです」。
<監督プロフィール>
中川あゆみ
社会の周縁に暮らすマイノリティの生き様やアートを主な関心事に製作してきた。中国の移動養蜂家、バルカン半島を旅するロマの楽団、タンザニアの農民音楽、アマゾン移動法廷船などを取材。2017年、日本のセクシャル・マイノリティ1000人のカミングアウトを追った作品は、ATP奨励賞、SSD「Best Asian Project」を受賞。
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2018/09/04
"それは決して避難者だけの問題ではなく、この国に生きる誰にとっても『明日は我が身』だからです"